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テンプレート:基礎情報 会社

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株式会社スクウェア・エニックスは、スクウェア・エニックス・ホールディングス傘下の日本でのゲームソフト制作・開発会社および出版社である。略称はスクエニ、あるいはSQEX

沿革 編集

旧エニックス 編集

エニックス」も参照

  • 1975年9月22日 - 株式会社営団社募集サービスセンター設立。
  • 1980年2月 - 営団社募集サービスセンターの完全子会社として、株式会社営団社不動産設立。
  • 1981年8月 - 営団社不動産が、商号株式会社営団社システムに変更。
  • 1982年8月 - 営団社システムが、商号を株式会社エニックスに変更。
    • 第一回ゲーム・ホビープログラムコンテストを主催。
  • 1983年10月 - 小西六(現コニカミノルタホールディングス)との合弁により株式会社小西六エニックス設立。
  • 1987年10月 - 小西六の社名がコニカに変更した事に伴い、小西六エニックスが商号をコニカエニックス株式会社に変更。
  • 1988年3月 - エニックスの完全子会社としてエニックスプロダクツ株式会社を設立。
  • 1989年1月 - エニックスがコニカエニックスを完全子会社化。
  • 1989年4月 - 営団社募集サービスセンターが、子会社3社のエニックス(旧エニックス)、コニカエニックスおよびエニックスプロダクツを吸収合併し、商号を株式会社エニックスに変更(ただし、当時の営団社募集サービスセンターは休業状態であり、実質上の存続会社は旧エニックス)。
  • 1991年8月 - 社団法人日本証券業協会に株式を店頭登録店頭公開)。
  • 1999年8月 - 東京証券取引所1部上場。

旧スクウェア 編集

スクウェア (ゲーム会社)」も参照

  • 1986年9月 - 株式会社スクウェア(以下「旧スクウェア」)設立。
  • 1991年4月 - 株式額面金額の変更を目的として、休眠会社を買収して商号変更した株式会社スクウェア1966年7月11日設立)を存続会社として、旧スクウェアを吸収合併。
  • 1994年8月 - 日本証券業協会に株式を店頭登録(店頭公開)。
  • 1999年6月 - スクウェアの完全子会社として下記の4社を設立。7月にスクウェアの事業の一部をそれぞれに営業譲渡
    • スクウェアの完全子会社として株式会社スクウェアヴィジュアルワークスを設立。
    • スクウェアの完全子会社として株式会社スクウェアサウンズを設立。
    • スクウェアの完全子会社として株式会社スクアーツを設立。
    • スクウェアの完全子会社として株式会社スクウェアネクスト(後に、株式会社ゲームデザイナーズ・スタジオ、株式会社SQEXを経て、株式会社タイトーと合併)を設立。
  • 2000年8月 - 東京証券取引所1部上場。
  • 2001年1月 - スクウェアがスクウェアヴィジュアルワークスおよびスクアーツを合併。
  • 2002年4月 - スクウェアがスクウェアサウンズを合併。

合併後 編集

概要 編集

2003年4月1日に、株式会社エニックス株式会社スクウェア合併により誕生した。(合併直前、スクウェアに対して行われたSCEIからの支援、デジキューブ倒産については後述)。

合併については様々な理由が挙げられ、主に以下の通り。

  • 映画事業で失敗したスクウェアへの救済措置という考え(実際には合併時点では財務状態は改善されていた)
  • 一方エニックスは看板の『ドラゴンクエスト(DQ)シリーズ』のソフトが出ない年は売り上げが半減すると言われるなど収益の不安定性
  • エニックスお家騒動」に絡む出版事業の衰退
  • エニックスは『DQシリーズ』以外のタイトルの知名度が低いが、スクウェアは『ファイナルファンタジー(FF)シリーズ』以外のタイトルも期待度が高いといった補完関係
  • エニックスの強いアジア、スクウェアの強い北米欧州という海外事業の補完関係
  • 発売スケジュールの調整で『ファイナルファンタジーシリーズ』と『ドラゴンクエストシリーズ』を衝突させない事での収益機会の確保
  • オンラインゲームモバイルゲームの時代に備え、両社のコンテンツ資産の有効活用による相乗効果を図った
  • 和田社長曰く「将来を見越しての勝ち残りのための攻めの合併」
  • エニックスがパブリッシャー(発売元)に、スクウェアがデベロッパー(開発元)に特化した制作体制であったため、これを相互補完する効果
  • 多角的メディア・プラットフォーム戦略への体制作り

タイトーの買収については、スクウェア・エニックスに欠けているアーケードゲーム事業への進出を見越したものである。タイトーを買収したことによってアーケードゲームも幾つか製作している。

社名の由来 編集

エニックスの由来は、世界初のスーパーコンピュータと言われている「ENIAC」(エニアック)と不死鳥PHOENIX」(フェニックス)を足したものである。

スクウェアは、ゴルフのアドレスやグリップ(構え)で使われる「スクウェア」が由来。スクウェアには「正方形」「広場」「頑固な」「きちんとした」などの意味があり、ゴルフでは飛球線に対して90度に正対している状態を指す。問題に対して逃げ腰ではなく、直視していく企業体を目指す意味で名付けられた。ゲームソフトのクリエーター達が集まる広場「スクウェア」を意味しているのと、旧スクウェアの会社生誕の地である四国(四角形から)への謝意も込められている。

先端機器が整備された製作環境の中で、クリエーター達が豊かな感性と創造力を発揮し、世界に通用するエンタテインメントを提供する国際的企業となる思いが込められている。

合併後の名称が「エニックス・スクウェア」で無く「スクウェア・エニックス」となったのは、「SQUARE ENIXだとEが重なり、社がひとつにまとまった感じがある」「株式交換比率(1:0.85)[1]により、エニックスがスクウェアを吸収合併したという印象を薄らげるためにスクウェアを前に持ってくるという配慮」「エニックス・スクウェアだと、スが連続し発音しづらい」があると思われているテンプレート:要出典。「エニックス・スクウェア」だと略称がエニウェア("anywhere"(どこか)と同じになる)となる点も上げられる。

ゲーム部門 編集

旧エニックスと旧スクウェアがそれぞれ抱えていた多くのシリーズが、そのまま会社の主力となっている。2010年以降はタイトーのゲームシリーズもコレに加わり、更なる充実を図ろうとしている。

特に、日本の国産二大RPGと呼ばれる『ドラゴンクエスト』(大ヒットしたファミコン版「ドラクエ3」以降は、原則として”その時点で国内最大のシェアを誇る(メーカーの)ゲーム機(機種)”にてシリーズ展開されている。そのため、”(日本国内で)シェアの低いゲーム機”でシリーズ作が発売されることは、まずない)[2](ただし、旧作の携帯アプリへの移植作等は存在する))、『ファイナルファンタジー』(その時点でのハードのシェアにかかわらず、比較的多くの機種にてシリーズ展開されている。また、PC用ソフトとしてもシリーズ展開されている)の両人気シリーズを抱えている事もあり、ハードの売れ行きや、ゲーム業界に大きな影響を与えてきたメーカーである。そして、この2シリーズやその派生作品に売上の面で依存している傾向がやや強い。とはいえ、2シリーズ以外でも評価等で高いものが他社に比べ比較的多いため、安定した売り上げを誇る。

開発・発売タイトル 編集

2011年5月現在。()内は発売日(またはサービス開始日)、希望小売価格(一部オープン価格)、ゲームの形態の順。洋物ゲーム専門ブランド「エクストリームエッジ」については別記。

合併以前の旧エニックス・旧スクウェアそれぞれが開発・発売したソフト、および廉価版「アルティメットヒッツ」「レジェンダリーヒッツ」については当該項目を参照。

Windows用ソフト 編集

プレイステーション用ソフト 編集

プレイステーション2用ソフト 編集

プレイステーション3用ソフト 編集

プレイステーション・ポータブル用ソフト 編集

ニンテンドーゲームキューブ用ソフト 編集

Wii用ソフト 編集

ゲームボーイアドバンス用ソフト 編集

ニンテンドーDS用ソフト 編集

ニンテンドー3DS用ソフト 編集

Xbox 360用ソフト 編集

アーケードゲーム機器 編集

※ 筐体の開発、および販売はタイトーが行っている。

その他のタイトル 編集

エクストリームエッジ 編集

開発部門 編集

内製のゲームソフト開発の人員は旧スクウェアタイトルに大半が集中され、旧エニックスタイトルは従来通り企画、委託開発の管理のみ行っている。

現在、この下記のような事業部制は無くなっており、「FABULA NOVA CRYSTALLIS」、「FRONT MISSION PROJECT」、「World of MANA」、「イヴァリースアライアンス」、「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル」、「COMPILATION of FINAL FANTASY VII」、「ファイナルファンタジー生誕二十周年企画」などといったプロジェクトごとにチームが結成されている。旧エニックス社員も旧スクウェアソフトのチームに開発スタッフとして名を連ねている事もあり、特にニンテンドーDSタイトルを早期に複数開発できたのはスクウェア・エニックスの合併の大きな成果と言われている。

  • 第1開発事業部
    • 部長:北瀬佳範
    • 代表作:ファイナルファンタジーシリーズ(VII、VIII、X、X-2、XIII、ヴェルサスXIII)、キングダム ハーツ シリーズ
    • 野村哲也鳥山求所属
  • 第3開発事業部
    • 部長:田中弘道
    • 代表作:(ファイナルファンタジーXI、XIV)、クロノシリーズ、ゼノギアス、デュープリズム
  • 第4開発事業部
    • 部長:松野泰己(発足当時)
    • 代表作:ファイナルファンタジーXII、ファイナルファンタジータクティクスシリーズ、ベイグラントストーリー
    • 旧クエスト
  • 第5開発事業部
    • 部長:平田裕介(発足当時)
    • 代表作:オールスター・プロレスリングシリーズ、日米間プロ野球、武蔵伝シリーズ
    • 大阪事業所所属
  • 第6開発事業部
    • 部長:土田俊郎
    • 代表作:フロントミッションシリーズ
    • 旧ジークラフト
  • 第7開発事業部
    • 元部長:時田貴司
    • 代表作:半熟英雄シリーズ、パラサイト・イヴシリーズ、バウンサー、ナナシノゲエム
  • 第9開発事業部
    • 部長:三宅有
    • 代表作:ドラゴンクエストシリーズ
    • 旧エニックスドラクエ課
    • 関連:堀井雄二
  • モバイル事業部
    • 部長:洞正浩
    • 携帯電話向けコンテンツの開発

主要クリエイター・広報 編集

2010年現在社員として所属するもののみ。順不同。



かつて在籍したクリエイター・広報 編集

オンラインゲーム部門 編集

旧エニックスでは主にPC向け、旧スクウェアでは家庭用ゲームハードとPC向けのオンラインサービスPlayOnline(以下POL)を展開。合併後も継続して様々なオンラインゲームの開発、運営を行っている。

ファイナルファンタジーXI』(以下FFXI)が日本、欧米で順調に会員数を獲得していきオンラインゲーム事業は収益の中核となっていった。アジア地域では『クロスゲート』を展開中(日本国内の運営は2007年9月30日 23:59をもって終了)。しかし収益のほとんどが『FFXI』によるものであるため、同作品以外のコンテンツのサービス縮小や撤退が相次いでいる。この流れはPC向けオンラインゲームで顕著だったが、2006年に入ってからはPOL関連コンテンツからも撤退や他社へ運営が移管される作品が現れた。

2007年に発表された『コンチェルトゲート』のようにスクウェア・エニックスがゲームを制作し、運営を他社が担当するといった動きも見せている。

サービス中のタイトル 編集

サービス終了タイトル 編集

モバイルコンテンツ部門 編集

モバイルゲーム着信メロディ配信など携帯電話向けコンテンツの制作を行っている。

主なコンテンツ 編集

ファイナルファンタジーモバイル
ドラゴンクエストモバイル
キングダム ハーツ モバイル
聖剣伝説モバイル
フロントミッションモバイル
スクエニモバイル
その他
他多数

出版部門 編集

主に旧エニックスで展開されていた、1988年より開始したドラゴンクエストシリーズの公式ガイドブックやノベライズ作品・ファンブック・ゲームブックの出版が始まりで「ドラゴンクエストIII 新たなる伝説」に掲載された栗本和博4コマ漫画が好評だった事からドラクエシリーズの「4コママンガ劇場」を1990年に発刊。翌年には漫画雑誌月刊少年ガンガン』を創刊した。2007年現在は「アルティマニア」等、デジキューブ(2003年11月倒産)が行っていた旧スクウェア系の公式ガイドブックなどの出版物の発行も受け継いでいる。デジキューブ倒産に伴い絶版となっていた一部の書籍音楽CDも、スクウェア・エニックス名義で再版されている。

ガンガン系各誌は児童誌、少年誌少女誌の雰囲気が混在する独特の誌面により、「(スクウェア・)エニックス系漫画」というジャンルを確立している。

かつては、「魔法陣グルグル」「南国少年パプワくん」「まもって守護月天!」などの人気作で一世を風靡した連載作家陣のうちの主力作家の一部が、いわゆる「エニックスお家騒動」(担当社員によるマッグガーデン設立およびスタジオDNAによる一賽舎設立への参加)により『月刊ガンガンWING』を中心に多数の所属作家を失うというトラブルもあったが、直後に連載開始された「鋼の錬金術師」が大ヒットし、誌面の弱体化は解消している。

2004年にはスクウェア・エニックス小説大賞(現スクウェア・エニックスライトノベル大賞)を設立し、ライトノベルの発行も行っている。

漫画雑誌 編集

過去に発行していた漫画雑誌

小説 編集

マーチャンダイジング部門 編集

主に旧スクウェアが外注で展開していたフィギュアやアクセサリー商品を、自社販売に改めた事業部。

販売ルート 編集

商品 編集

任天堂との関係 編集

ファミリーコンピュータスーパーファミコン全盛時代、スクウェアとエニックスの2社は任天堂サードパーティーとして重要な位置にあった。特にスクウェアは、任天堂との絶大な信頼関係を持っていた小学館ゲーム・オン!編集部)との合同企画として『ライブ・ア・ライブ』を製作したり、『スーパーマリオRPG』を共同開発するなど、お互いに強い信頼関係を持っていた。

しかしその関係は、任天堂が容量の制約が厳しいカートリッジROMの採用に固執したため、『スーパーマリオRPG』の開発以前からギクシャクし始めていた。『スーパーマリオRPG』以降、信頼関係が崩れ始め、『トレジャーハンターG』を最後に任天堂ハードへのソフトの供給およびNINTENDO64用に開発していた約10タイトルのソフトの開発を中止する。

鈴木尚スクウェア社長(当時)によれば、プレイステーション(PS)に独占供給した際に任天堂の山内社長は「機種の選択という意味では仕方がない」と言ってくれたが、その際にエニックスをPS陣営に誘い、NINTENDO64は駄目だと吹聴し、任天堂との確執を生んでしまった(日経産業新聞2001年10月19日28面記事より)。2008年現在の据え置き型ハードにおける、ディスクメディアの搭載率とメリットの大きさから判断すれば、スクウェアの判断は妥当であったが、ここで問題となるのは社としての対応から見える「企業倫理」である。

翌年、エニックスが『ドラゴンクエストVII』をPSで開発、発売と発表し、家庭用ゲーム機業界の力関係を決定付けた事実から、当時の2社の地位の高さが証明できる。先述のスクウェアと比較した場合、エニックスがPS参入後にも問題なく任天堂ハード用のソフトを販売できたのは、当時の業界関係者が述べたスクウェアの「(任天堂に)後ろ足で砂をかけて出ていったようなもの」(日経金融新聞2002年1月10日)という対応とは異なり、エニックスは社会的・企業的モラルに則った対応を行った事による(朝日新聞テンプレート:いつ記事より)。

スクウェアの映画事業における失敗から、既にソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)の資本参加を受ける事を決定したものの、任天堂との断絶した関係の回復のために山内溥社長(当時)との交渉を行った。当時の任天堂は、据え置き型ハードのシェアは不振だったが、携帯型ゲーム機とソフトウェア販売の業績は好調であった。そのため、デジキューブで任天堂商品が扱えない事が株主総会で問題となり、「土下座してでも任天堂と和解しろ」という意見に、デジキューブ染野取締役(当時)が「土下座してなんとかなるものなら、いくらでもしますよ」と答えた事もあった。この段階では交渉は決裂していた。

2005年10月には、開発をスクウェア・エニックス、発売を任天堂が担当する『マリオバスケ 3on3』が発表され、スクウェア・エニックスから「これからも任天堂とがっちりコラボレートしていこうと思っている」との旨が語られた。その後も『ファイナルファンタジーIII』(リメイク作品)などのヒット作が生まれた。一時は断絶関係にあった任天堂とスクウェア(現スクウェア・エニックス)は、再び協力体制へと向かっていると見られる。

その他 編集

第一回ゲーム・ホビープログラムコンテスト(旧エニックス)
1982年(昭和57年)国内初のゲームホビーに限定したコンテストを主催した(同年12月20日締め切り)。アメリカの若きソフトウェアのスーパースターの誕生で、ヒット作が続々と誕生して高いロイヤリティを獲得している背景により、日本国内でも才能を最大限に発揮する場としての初めての開催となった。ゲーム作家、ゲームクリエーターを発掘し、すべての作品を翌年1983年に製品化させ話題を集めた。以後プロデュース活動を展開し、初代パソコンブーム、ファミコン全盛時代の創出に大きな影響を与えた。第一回の受賞者にはドラゴンクエスト中村光一堀井雄二らがいる。
  • 最優秀プログラム賞「森田のバトルフィールド/森田和郎
  • 優秀プログラム賞「ドアドア/中村光一」
  • 優秀プログラム賞「マリちゃん危機一発/槇村ただし(後のどろんぱ)」
  • 入選プログラム賞(以下順不同)
    • 「宇宙の戦士/岡田良行」
    • 「D・I・Sエアポート/藤原誠司」
    • 「星子のアドベンチャー/浅沼利行」
    • 「地底のモンスター/長谷川修」
    • 「ポーカーエキストラ/川口真弘」
    • 「ナポレオン/島田弘明」
    • 「ピラニア君の一週間/白井篤」
    • 「暴走オリエント急行/長瀬敏之」
    • 「ラブマッチテニス/堀井雄二」
    • 「バクテリアエスケープ/橋下友茂」
  • スクウェアはデジキューブ倒産直前、またはそれ以前からも不正な自社株売却が度々問題視されており、東京証券取引所から査察を受けた事がある。
  • マイクロソフト日本法人社長であった成毛眞が社外取締役として名を連ねている。(2010年現在)[5]
  • 2001年に、旧エニックス、旧スクウェア、ナムコとの間で業務提携が結ばれ、エニックスオーナーの福嶋康博、スクウェアオーナーの宮本雅史、ナムコオーナーの中村雅哉との間で各社の株式の4-5%程度を相互に持ち合う事となった。その結果、スクウェア・エニックスのキャラクター商品をナムコがプライズゲーム用に商品化するなどの協力関係が築かれている。スクウェアの格闘ゲームエアガイツ』のアーケード版をナムコが制作した事がある。ナムコのアーケードゲーム『太鼓の達人7』において、ドラゴンクエストの楽曲を使用するなどのコラボレーションが実現している。
  • 日本国内市場での新たな戦略として海外ゲームのローカライズ、販売が開始される。しかし、ローカライズ部門の目玉として国内版を担当した『コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2』ではソフト自体のローカライズの内容や流通過程に疑問符が打たれるようなもので、更に後日発売された『Just Cause 2』では発売日の夕方にメンバーズログインを必要とするページにて国内版と海外版の差異を公開、海外版では雪に覆われた山が日本語版では正常に表示されなくなるバグを新たに発生させてしまうなど不手際が目立ち、規制項目の遅れについては和田洋一がTwitter上で規制アナウンスの遅れに対する謝罪をするまでに発展した[6]テンプレート:要出典範囲

関連会社 編集

脚注 編集

  1. エニックスとスクウェア、合併比率を変更(ITmedia)2003.1、2009.12.30閲覧
  2. 例としては、過去にシェアが国内最大であったSCEの「PlayStation」と「PlayStation2」においては、シリーズ作が発売されていたにもかかわらず、(これらの後継機種でありながら)競合機種(任天堂Wii)と比較して売上が伸び悩んだ「PlayStation3」向けの専用ソフトとしては、「ドラゴンクエスト」のシリーズ作は1本も発売されていない。これは、任天堂のハードにおいても同様であった(シェアの低かった(時代の)機種(NINTENDO64ニンテンドーゲームキューブなど)向けには、1本も発売されなかった。)
  3. SQUARE ENIX SHOP
  4. SQUARE ENIX CHARACTER GOODS SHOP SHOW CASE
  5. 役員一覧|会社情報|株式会社スクウェア・エニックス・ホールディングス
  6. Twitter / 和田洋一: 申し訳ありませんでした。我々の未熟さからくる配慮不足 ... (2010.06.25 和田洋一)

外部リンク 編集

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